わたしは死にたい。
今に始まったことではない。子どもの頃からそう思っていた。
わたしにとって「死にたい」はスタンダードな状態である。
最近は、「生まれたことそのものが割と絶望」という死生観で生きている。
この死生観にはネガティブな意味だけが込められているわけではないのだが、やはり生きるのは苦しい。
だけど結局、死ぬ勇気がないままダラダラと生きている。
そう、こういう奴はなかなか死なない。自分でもよく分かっている。
でも、この先自分にも〝その一線〟をひょいっと超えられてしまう瞬間が来るんじゃないかと思ってしまう。
ただ、どうせそんなふうに死んじゃうんだとしたら、やりたいことはやっておきたいな、と考えた。
死にたいと言いつつも結局生きているので、どうしてもそれなりにやってみたいことは浮かんできてしまうのだ。
ということで、『どうせ死ぬならやっておきたいことリスト』を作った。
『人生でやりたいことリスト100』のような、ポジティブな〝生〟のリストではない。
どちらかといえば〝死〟のリストである。
「最低限これができれば、もういいや今世」というテンションで書き連ねていく。
でまあ、そんな薄暗いリストだけれど、一部をブログに公開しておくことにした。
わざわざ世の中に発信する必要もないのだが、わたしは他人の目に触れるかもしれないという体にすると、なんだか頭の中を整理できる人間なのだ。
場所編
行きたいと思う場所に行こうとしないまま何年も経ってしまっている。
死ぬ前にせっかくならこの地球で気になる遊びはしておいたほうが得だろう。
ずっとやりたいねと言いつつやっていないことだから。
冬は寒すぎて絶対やる気にならないので、本格的に寒くなる前にやりたい。
ついでにピクニックでもすれば、走馬灯に食い込む良き思い出となるはずだ。
調べたら、来年の夏にリニューアルするからそれまで休館らしい。
つまり、来年の夏までは生きているであろうことが確定した。
わたしは子どもの頃から恐竜が好きだ。
上野の国立科学博物館にしか行ったことがないから、恐竜メインの博物館にも行ってみたい。
実は、博多とか天神の辺りに住んでみたかったりする。
理由はまぁ、色々あるのだけど、とにかくなんかいい感じだと思ったからだ。
しかしそれはそうと、まだ行ったことがない。
行ってみて住みたい気持ちが強くなるかもしれないし、やっぱりいいやとなるかもしれない。
死ぬならどうでもいい話だけれど、なんとなくそれがわからないまま死ぬのは気持ち悪いから。
数年前に『弱虫ペダル』に沼ったとき、しまなみ海道が自転車乗りの聖地だと知った。
晴れた暖かい日に走れたら、とても気持ちよさそうだ。
旅行経験が乏しく、あっちの方には行ったことがないのでそういう点でも気になる。
きっと長野の気候とは全然違うだろうから。
もう少し日本の土地を踏みしめてから死ぬのも悪くないだろう。
いわゆる聖地巡礼というやつだ。
これも数年前に声優に沼った際、『神谷浩史+小野大輔のDear Girl ~Stories~』というラジオ番組のファンになってから行きたいと思っていた。
小野さんの出身が高知県佐川町で、番組内で旅行をしているから、同じルートで高知を楽しんでみたい。
仁淀川とか綺麗なんだろうな。
本当は小野さんのご実家の『おの家具』にも行ってみたかったのだけど、2017年、ファンに惜しまれつつ閉店してしまい、わたしの夢は途絶えた。
やはり行けるときにとっとと動けという教訓だなと思った。
これも聖地巡礼だけど、正直海外旅行はそこまで頑張れないと思ってる。まあでも書くだけ書いておく。
ジョジョの奇妙な冒険シリーズの5部『黄金の風』が好きで、その舞台がイタリアだから。
アニメがやっていた時になんと公式のイタリア旅行があったのだけど、参加費の40万がポンと出せる金額ではなかったため断念した。まぁ今のほうがお金ないんだけど。
しかしお金があっても、キャラクターの属性が"ギャング"のため、聖地巡礼が非常に難しい。
ナポリに行きたいのだが、治安が悪いのでツアーには組み込まれていないらしい。
そりゃそうだよな。スタンドが使えないだけでガッチガチのギャングが、イタリアの治安が悪い場所にはいるんだ。やべえよ世界。
わたしには1人で海外旅行は無理ゲーだ。
人編
人が怖いくせに、結局最後は人なのだなぁと、書いていて思った。あーあ。。
家族、彼氏、友人、推し、その他誰でも、地球の生命体で好きだなと感じる人には会っておきたい。
こんな自分とも付き合ってくれる精鋭部隊がいる。その人たちに会って遊んでもらってから死にたい。
子どもの頃からわたしの面倒を見てくれていた家族の知り合い2人、
中学時代の担任、
バイト先でお世話になってから今まで付き合いのある人とその人の家族、
子ども教室でみていた子どもたち。
憧れの人がいる。
しかもその人は、会おうと思えばどうにか会える人だ。
鬼緊張するけど、どうせ死ぬなら1回くらい会いたい。
いわゆる推しへの感謝や応援のメッセージだ。
推しは、死にたいわたしを今日まで支えてくれた存在だ。
推しといっても、わたしは1人を深く推すというよりは、自分がちょっとでも共鳴した人を気軽に好きだと言っているニワカライト層なのだけど。
そのため、普段は推しに対し気持ちを言葉にすることはあまりないのだが、これを機にしっかりと伝えてみたいと思う。
現状わたしはお金での応援ができないので、言葉だけにはなってしまうけれど…
だが世の中は、そのコンテンツを良いと思う人は特に何も言わないが、嫌だと思う人はクレームをつけやすい。
そして、人はネガティブな感情をより強く感じやすい生き物だ。
だからこそ、いいと思うものや好きな人に「それいいね!好きだよ!」と、自分の素直な言葉を伝えることは無駄な行為ではないはずだ。
これは母の希望。King Gnuの地元ライブ。
いつになるか分からないという点では、一番わたしの死期を遅らせてくれそうだ。
別に東京まで行けばいいのだけど、母が立場上、県外でコロナにかかると厄介なのと、
ホームでの公演は特別感があるからね。
しかし…まさか長野からこんなに素晴らしいバンドが生まれるなんて思わなかった。しかも同世代で。彼らは長野の星だね。
わたしは美しいものが好きだ。
ルッキズムが取り沙汰される世の中でこんな表現をするのはよくないかもしれないが、
人間に対しても「美しいなぁ」と感動してしまうことがしばしばある。
テレビで見たことのある地球人の中では、羽生結弦さんに惹かれる。
フィギュアスケートというスポーツそのものがかなりの芸術ではあるけれど、羽生さんはまさに「名は体を表す」という言葉がぴったりな人だと思う。
名前から美しいっていうのはすごい。
遠くからでもいいから、彼が現役のうちにそのスケーティングを一目見てから死にたい。
美しいものが好きだからその2。
音楽への造詣は深くないが、音楽は好きだ。
父母が意外とクラシック好きで、幼い頃から馴染みがあったからかもしれない。
清塚信也さんはガチのピアニストなのに、なぜか(?)トークも上手すぎるという多才な方。
コンサートで喋りすぎると、ピアノ演奏を高速にして巻くらしい。おもろすぎるだろ。
すごい人なのに、音楽初心者でも楽しめるような空間を作ってくれる懐の深さがカッコイイ。
人としてあまりに魅力的なので、死ぬ前にぜひ行ってみたい。
以上、死ぬ前に、会いたい人には会える時に会おうという話だ。
余談だが、先日、伊沢拓司さんの講演会に行ってきた。
彼氏の影響で数ヶ月前からQuizKnockにハマっている身としては、このタイミングで地元に来てくれるなんて行けというサインに他ならない。
行ってみてやはり、自分の心が動いた人の空気感に生で触れるのはとても良い体験だと思った。
死にたいくせに最近の中で一番幸福度の高い経験となったので、会いたい人に会うのは重要なことだと思う。
生の伊沢さんはやっぱりカッコよかったし、お話もとても為になった。
ライフスタイル編
生前整理を20代で一度やる。
現実問題、死ぬならモノを減らしておかないと片付けてくれる人が大変な思いをする。
労力もそうだし、精神的にも故人のモノって扱いづらい。
今の自分に絶対必要だと思うモノだけ残して、あとは売るなり捨てるなりして手放したい。
自分の部屋以外にある私物もちらほらあるので、きちんと自分の部屋に収めないとな。
他人に見られたら恥ずかしいって少しでも感じちゃうモノもすべて処分。
サブスクはタイミングが難しいな。
1ヶ月ほど前、母が骨折して手術騒ぎになったのだが、医者にダサいパンツを見られたことを激しく後悔していた。
ウケてしまったが、普段の生活がいかに大切か、よくわかる出来事だ。
そしてわたしのパンツもそろそろヤバイかもしれないということに気づいてしまった。
上でも少し触れたが、死んだ後に恥ずかしい思いをするのはなんかやだ。
いや死んでるからわかんないし、どうせ全部燃えて骨になるので見栄張っても仕方ないんだけど、自分で自分の体をコントロールできない中で意図せずダサい下着が顕になったらあの世で泣くかもしれない。
わたしの女として、人としての最後の矜恃。
今の自分の見た目で死ぬのキツイなと思う。太ってるし、肌も汚いから見られたくない。
5年前、母方の祖母が亡くなったときのことをよく思い出す。
美容師だった祖母はオシャレで美意識が高く、長年の努力の賜物か、肌がとても綺麗だった。
死化粧の一部をわたしがやったのだけど、紅を引きながら、わたしもこんな死に顔になりたいなと思った。
理想の容姿の実現はやりたいことの中で一番難しいけども…とりあえず肌荒れを治して、少し痩せたい。
死ぬために健康的な生活をしようというのは謎かもしれないけれど。
わたしは歌が好きだ。
そして、ニコニコ動画全盛期に中高生だった世代だ。
本当は当時から歌ってみたをやりたかった。
でも長年生きることに精一杯すぎて、やり方を調べることもせずに若き日を終えた。
けれど2年ほど前、あの有名な歌い手Geroさんが、後輩の歌い手2人とYouTuberになっているのを見て、メンバーのめいちゃんが自分と同学年だと知って、様々な歌い手企画を観て、なんだか強烈に影響されてしまった。
そして機材を揃えてしまった。ほとんど中古で買ったけど、結構かかった。
だから1曲くらいやってみないとアホだと思う。
小さいことだし、どうせ死ぬから意味ないんだけど、覚えてないってなんか気持ち悪い。
たとえばDECO*27さんの『ヒバナ』の2番Bメロ。英語で難しいからって、そこだけ見て見ぬふりをしている。
学生時代は英語の歌詞も頑張って覚えてたのに、大人になったら億劫になったあたり、なんだか嫌な歳の取り方をしているなと感じる。
そういう曲たちを一回腰据えて覚えたい。
ちゃんと時間を作らないとやらないことをやろうって話。
せっかくならね、大好きな記憶で頭の中をいっぱいにして死にたいよ。
本は高いから買えないと思ってたけど、やりようならいくらでもある。
死んだら全部忘れるから意味ないけど、死ぬまでの人生の何十時間かを豊かにできたら十分だ。
このブログや発信活動に関すること
いい加減やれ。書かなさすぎてもはやファンの方に申し訳ない。
こちらもいい加減やれ。喜んでくれる人が確実にいるのだから。
それだけでも自分の行動には価値がある。
YouTubeには、キラキラしたVlogだけでなく、ニートや鬱など、抱えてる系のVlogも存在する。
それにちょっと憧れて、実は撮るだけ撮ったことがあるのだ。
ひとつ前の仕事を辞める前、辛すぎて仕事を休んでしまった日の自分が、未編集のままスマホに取り残されている。
外に仕事に行くのが怖くて、しばらく働けていない。
でも死ぬまでは生きなきゃいけない。
マジで辛い。
でも家に居ながら仕事ができるなら、少しはラクになりそうだなと思う。
文章は苦手だけれど嫌いではないので、一度経験してみたい。
自分のブログに自分で書いた記事が100記事もあるっていいじゃんという、ただそれだけだ。
完全な自己満足。
ブログ論に疲れて楽しかったはずの文章を書くことができなくなってしまったので、もう好き勝手書いて死んでいこうと思う。
にしても、100記事なんていつになるやら・・・。
リストを書いてみた感想
自分はけっこう時間がかかってめんどくさいことがやりたいんだなと思った。
案外生きる気があるというか…
この記事をわたしよりも苦しい思いをしている人が読んだらキレそうだなと思う。
もしそういう人がいたらごめんね。
この記事は、自分の中で変化があるたびに更新していこうと思う。
それと、やったこともできる限り記事にしようかなと。
そんな感じ。